表現の自由ファイル

政治的社会的現象について世俗的観点から私見を叙述します。

刑事法の本質

はじめに…

 プロフィールには、法科大学院生と書いていますが、本稿を執筆している時点では、今はまだ都内の法科大学院の合格が出ているだけの一端の法学部生です。本稿では、この4年間勉強してきたことを踏まえ、刑事法(刑法・刑事訴訟法)で学生が躓きやすい重要な論点を中心に解説し、基本スタンスは学問的に(本質や真理の探求に)、答案上の説明にも気を配りつつ説明することで、学生諸君の疑問を払拭できればと思います。あくまでも、その辺のバカ大学生が気まぐれで書いているだけなので、過信はしないようにしてください。

 本稿は、論点を網羅するものではなく、あくまでも学生が刑事法を学修するにあたり、本質的な理解を要する議論を丁寧に解説するものです。なぜこれをやろうと考えたかというと、法律学において細々と散逸する論点を個別に関係しないものとして議論することほど時間のかかる作業はないからであり、これを知るためにはまず刑事法に関する抽象的ながら本質的な理解が必要だと感じたからです。したがって、最終的にはどのように文言として書き起こすかは検討しますが、そこだけが重要ではありません、ということをお伝えしておきます。

 

刑事法の焦点

 今回は初回なので、刑事法の学修にあたり、何を意識すると難しい議論をすんなり理解ができるか、ということを話したいと思います。刑事法と言っても、その中には刑法を中心とする刑事実体法と、刑事訴訟法を中心とする刑事手続法が存在します。刑事訴訟は、罪を犯したという嫌疑をかけられた被疑者を逮捕・勾留し、その間に警察・検察の捜査によって得られた証拠をもとに、担当検事などが被疑者を起訴した上で、刑事訴訟においてどのような事実が存在したか、どの構成要件に該当するか、いかなる量刑が相当か、ということを争う場です。

 まずは、その法律が何を趣旨と定めているかを検討する必要があります。法律とは何かという哲学に少し踏み込む論点となりますが、法律とは第一次的には国民の権利義務を形成したり制限したりするためのルールであり、権利義務の実体を定めた法律と権利義務を実現するための法律が主に存在します。しかし、もう少し俯瞰してみるとすると、法律とは国家と国民の契約書なのです。すなわち、国民は自ら大勢の人々を取りまとめていくことは困難であり、国家という概念に統治を任せる代わりに、統治の在り方に対して文句を言うことができる権利を与えられているのであり、法律はいわばこの国家と国民の対立関係における契約条項と言えるでしょう。これがかの有名な社会契約論的な理解です。

 したがって、法律は国民の権利と統治の便宜を調整するものであるといえます。民法は、私的自治と取引の安全(という公益)を調整し、刑訴法は被疑者や被告人の適正手続と捜査や公訴の便宜を調整しています。基本的には司法試験で勉強する科目のうち刑法を除くものについては、同様に左の天秤と右の天秤に乗るお皿を観念しやすいのですが、刑法についても同様のことがいえるのかは、難しい問題があります。裁判所が判決を書くとき、よく法令や条文の趣旨を示していますが、その趣旨の記載の仕方は他の条文と比較して「あの条文はこれを規定してるから、この条文はあの条文との調整を図るため、こういう趣旨であると解される」のような導き方をすることがあります。つまり、常に何かの利益と何かの利益を調整しているのです。

 しかし、刑法はどうでしょう。法解釈を行うに当たり、何を基礎に解釈しているのでしょうか。ひとまず、刑事被告人の利益と保護法益の調整であると仮説立ててみましょう。一見、うまく着地しているように見えますが、刑法に記載されている諸般の行為類型は誰が見ても悪いものばかりですし、それを処罰する旨の規定が定められているのですから、法律自体が被告人の利益に配慮していると考えるのは難しいと思います。また、承継的共犯の解釈を議論する際に、利益原則(疑わしきは被告人の利益)の話が出てくると思いますが、これも被告人の利益保護を究極目的とした原則ではなく、無闇に有罪にしないことで司法の公正を担保し、国民全体の自由を保障することが目的です。つまり、被告人という個人の保護ではなく、国民全体という公益の保護が目的だということです。刑罰規定に関して言えば、刑罰が適用される場合を明示・予告して処罰範囲を限定することで、国民全体の自由を保障するという利益(罪刑法定主義)があるわけです。以上は適正手続の観点からの利益ですが、他方で、社会的に悪い行為によって国民の権利が害されることも防がなければならないという意味での国民の利益も保護することは当然目的となってきます。したがって、刑法は、自由保障機能と法益保護機能の調整を図るための法律だと一応は結論付けることができるでしょう。

 例として、暴行罪(刑法208条)の「暴行」の定義について考えてみましょう。判例・通説は、「暴行」の定義を、人の身体に向けられた不法な有形力の行使をいい、身体への接触を伴わない場合をも含む、と解釈しています。暴行の意義については、a)他の人がいる室内で包丁や刀を振り回したり人の手前に物を投げつけるなど、人の身体に直接向けられていないが一般的な危惧感が大きく伴う間接暴行を含むか否か、b)身体的接触を伴うか否か、といった見解の対立があります。では、どのようにして考えるといいますと、①上記のような解釈を採った場合に「暴行」という文言から乖離しないかどうか、②刑法208条が保護しようとしている法益を最大限保護できるかどうか、という視点を天秤にかけるわけです。①と②は、それぞれ自由保障機能と法益保護機能から導かれる視点ですが、自由保障機能に力を入れすぎると、より謙抑的に解釈する方向性を採ることになるため「処罰範囲が狭まりすぎる」と批判され、反対に法益保護機能に考慮を偏らせると、法益侵害が生じる危険をなるべく排除しようと解釈するようになるため「処罰範囲が拡大しすぎる」と批判されることになるのです。したがって、刑法解釈の基本指針としては、自由保障機能と法益保護機能の調整を図り、ちょうどいい塩梅を探すことになるのです。

 このように、法解釈をするためには、各条文自体の趣旨を検討することも大事ですが、法律全体の立法趣旨というマクロな視点を持つことから始めることが、ミクロな条文解釈に大きな影響を与えることになるのです。事案を読んでで具体的な議論が思い浮かばないような場合には、法律自体の趣旨から考えるということが重要になります。

 

事案の法的整理

 法律家に求められる力の一つは、争点とそうでない点を整理して、争点に注力してよく考える力です。つまり、メリハリをつけて考える、ということです。これを行うためには、現れている事実関係を常に考えながら見ていく必要があります。どう考えるかというと、ある事実が認められる場合に、①この事実は何のためにあるのか、②法律のどの要件を基礎づける事実となるのか、③主要事実か間接事実か補助事実か、といった順番に法的に整理していく、ということです。具体例として、予備試験の刑事訴訟法の過去問を見てみましょう。

 

【事 例】 (平成29年度予備試験刑事訴訟法 抜粋)
 平成29年5月21日午後10時頃,H県I市J町1丁目2番3号先路上において,Vがサバイバルナイフでその胸部を刺されて殺害される事件が発生し,犯人はその場から逃走した。Wは,たまたま同所を通行中に上記犯行を目撃し 「待て 」と言いながら,直ちに犯人を追跡したが,約1分後,犯行現場から約200メートルの地点で見失った。通報により駆けつけた警察官は,Wから,犯人の特徴及び犯人の逃走した方向を聞き,Wの指し示した方向を探した結果,犯行から約30分後,犯行現場から約2キロメートル離れた路上で,Wから聴取していた犯人の特徴と合致する甲を発見し,職務質問を実施したところ,甲は犯行を認めた。警察官は,①甲をVに対する殺人罪により現行犯逮捕した。なお,Vの殺害に使用されたサバイバルナイフは,Vの胸部に刺さった状態で発見された。

〔設問1〕
①の現行犯逮捕の適法性について論じなさい。 

 

 上記の事実関係の場合、現行犯逮捕(刑訴法213条、212条1項)との関係では、実は無駄なものは何もありません。「平成29年5月21日午後10時頃」からは季節と時刻から外の状況を、「H県I市J町1丁目2番3号先路上において」からは場所の雰囲気や目撃者の有無や場所の明暗を、「たまたま同所を通行中に上記犯行を目撃し 『待て 』と言いながら,直ちに犯人を追跡したが,約1分後,犯行現場から約200メートルの地点で見失った」からは、目撃者の存在や犯人が近くにいる可能性があるということを…という風に、評価していくことができます。そして、上記のように評価した事実関係を、①犯罪と犯人の明白性、②時間的接着性、③逮捕の必要性、など現行犯逮捕の要件に充てていけばいいのです。もっとも、ある事実がどの要件との関係で問題となるかというのは、本問のように設問で現行犯逮捕を問題としているような場合でない限り、明確にわかることはありませんが、事案問題を解いたり判例をよく読んだりすることによって、その経験を積むことができると思いますので、それは読者の力にお任せします。本稿で言いたいのは、ある事実が条文の構成要件を基礎づけるものとなるのか否か、ならない場合には何のためにあるのか、なる場合には構成要件を肯定する事情か否定する事情かといったことを素早く、かつ、満遍なく行う必要があるということです。

 

問題点を見つける

(1)法的三段論法とは何か

 試験で大きく点数が振られているのは、問題点、すなわち、論点であることに異論はないでしょう。法律上の論点とはどういうものなのでしょうか。法的三段論法とは、事実を法的規範にあてはめて結論を出す作業を言います。以下に、法的三段論法のパターンを示しておきます。

A(要件)、B(効果)、C(事実)

A=B、C=A、C=B

A(=A’(定義))=B、C(=C’(評価))=A’=AC=B

 基本的には、常に①を意識することが重要で、②はよく見ると①に解釈や評価を付け加えただけなので、実質的には①と同じです。次に、具体例を見ていこうと思います。「甲(21歳)がV(15歳)の腹部をバットで殴打し、Aに内蔵損傷の怪我を負わせた。」という事実を刑法204条にあてはめてみましょう。

A(要件):「人の身体を傷害した者」

B(効果):「十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する

C(事実):「甲がAの腹部をバットで殴打し、Aに内蔵損傷の怪我を負わせた」

 まず、A=Bは刑法204条のままなのでいいでしょう。次に、C=Aですが、これは一般的にみても認められそうですが、あえてAの意味を噛み砕いて、どの事実がどの文言にあたるのかを丁寧に適用していく必要があります。なぜなら、当たり前のことですが、法律は要件を充足しないと効果が発生しないからです。

 「人」とは、母体から一部以上露出した者をいうところ、Vは15歳の少年であり、とうの昔に母体から出ていますから、「人」にあたります。内臓はVの「身体」の一部にあたります。「傷害した」とは、人の生理的機能を障害することをいうところ、甲の暴行により内臓が損傷し、一部に機能障害が生じているから、「傷害した」にあたります。以上より、甲は「人の身体を傷害した者」にあたるため、「十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する」という効果が発生します。(※故意は省略します。)

 以上が法的三段論法の概説です。適用すべき法律が一つの場合にはこのようにあてはめることが簡単ですが、法律のあてはめの中で下位規範を解釈しなければならないときには、ややこしくなってくることがあります。しかし、「事実に法律を適用して、結論を出す」というスタンス自体が崩れることは法律論文を書く際には絶対にないので、三段論法がややこしくなりそうなときには、規範とそれに対応する事実とのレベル感を間違えないようにすることで気を付けていくことができます。

(2)論点化する

 事例問題などで主に論点となるのは、①法律の文言が抽象的である場合、②法律と事実が適合しなさそうだが適合しないとすれば結論の妥当性が図れない場合、③法律と事実が一見適合しそうだが適合するとすれば結論の妥当性が図れない場合、の大体3パターンぐらいが問題になることが多いです。

 ①については、最高裁が一般的な解釈として定義を示していることが多いです。例えば、刑訴法197条1項但書「強制の処分」についての解釈として、「ここにいう強制手段とは、…個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味する」(最判昭和51年3月16日刑集30巻2号187頁)とし、明文の無い捜査手法の適法性が問題となる際にはこの規範に照らして法的性質を判断するのが一般的となっています。また、接見指定の要件を定める刑訴法39条3項本文「捜査のため必要があるとき」については、「右接見等を認めると取調べの中断等により捜査に顕著な支障が生ずる場合に限られ」(最判平成11年3月24日民集53巻3号514頁)としており、一般的な解釈として精通しています。①のパターンの場合には、法律の文言が抽象的だと端的に効果が発生するのかどうかが分からないから問題になるわけです。例えば、強制処分の例は、強制処分に該当した場合の効果(規律)とそうでない場合の効果(規律)が異なるから問題になるということです。効果が発生するかが問題となる、という問いはいたって当然の問いなので、改まって「文言が抽象的だと効果が発生するかが不明だから問題となる」などと論じるのはくどい気がします。したがって、①の類型の場合には、問題になる理由など述べずに、端的に「○法○条『』とは、~をいう。なぜなら、~だからである。」のように、規範とそう解する理由述べればいいと思います。もっとも、私の刑訴法ゼミの教授は、強制処分に該当するか否かで令状がいるかどうかなど厳格な手続的規律に服するかが決まるから問題となる、という趣旨の文言を必ず論じさせるのですが、文言にあたった場合の効果が複雑な場合にはあえてその旨を明示するのは、法律の適用関係を踏まえた立論になるので好ましいと思います。①の類型は、法律の文言の内容を明らかにしているため、限定解釈(縮小解釈)という解釈方法の性質になります。

 ②の場合には、反対に拡張解釈ないし類推解釈がなされることになります(刑法では拡張解釈は慎重になされ、類推解釈は禁止されています)。もっとも、②や③の場合、問題点を抽出する際に、結論に影響を及ぼしそうな事実関係を指摘した上で、その事実関係を法律の解釈に際して問題とするため、法律の適用が先行するという外観が生じることになります。

 「場所」に対する捜索差押許可状でその場に存在していた被告人の所持品を捜索することができるか、という問題があったとします。この場合、「場所」に対する令状では場所の捜索に限定して許可されていると考えるのが原則ですが、場所の利益はその場所に置いてある物についての権利利益の総体であるから、「物」の捜索も「場所」に対する令状で許可されている結果、被告人の所持品の捜索についても「場所」に対する令状で許される、という論理過程をたどります。この場合、「場所」に対する令状での捜索は「物」に対する捜索をも許容する、とした時点で事実関係についての適用をしなくとも、ほとんど結論が出ていることになります。もっとも、法律の解釈をする段階ではあくまでも具体的な事実関係を抽象化して議論しているため(法律自体は一般的な規範であるから)、抽象化した概念と具体的な事実を端的に適用する必要はあります。(ただし、後述するように既に事実関係に対する法的評価を含む解釈を行っているため、事実に対する評価は不要です)。

 では、①の場合とどう違うのでしょうか。①の場合には、具体的な事実関係はガン無視で定義規範を定立しますから、定義規範に事実があたるかを判断する際に、事実を評価する作業が別途必要になります。これに対して、②・③の場合には、既に評価を含んだ具体的な事実関係に即応した解釈を行っているため、事実を別途評価する必要がないということになります。したがって、②・③の場合には、適用部分においては抽象化した文言と具体的な事実(ほぼほぼ同義)をあてはめて終わりにすればよいということになります。